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オーロラ神話と迷信から科学へ

投稿日:2017年3月2日 更新日:

「バイキング オーロラ」の画像検索結果

北の夜空をときおり輝かせるオーロラ。

 

この息をのむような現象は、極北に住む人々に驚異の念を

抱かせてきたといいます。

 

それゆえに、多くの文化圏で神話として語り継がれることに

なりました。

 

科学が一般的ではなかったころ人々は、この光について妖精の

踊りや神の怒りといったさまざまな、思惑、解釈をしてきた

ようで、まだまだ、太陽とつながりがあること考えることは

なかったようです。

 

太陽と関係があると、はじめて唱えたのはフランスの

「ド・メラン」 とノルウェーの「ビルケランド」のふたりの

科学者です。

 

その後の研究により、太陽を起源とする荷電粒子が、地磁気の

作用によって極北の大気中にむかって導かれてオーロラの粒子に

なったことが、わかったそうです。

 

この荷電粒子と大気の衝突にともなう発光現象が、わたしたちが

見るオーロラの光なのです。

 

ようするに、太陽活動を注意深く観察することで、オーロラの

強さや発生する場所がある程度、予測できるということです。

 

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神話と迷信

極北の文化圏には世代を超えて語り継がれてきたオーロラに

まつわる伝説があります。

 

バイキングの時代にはオーロラの光は、若くして、死んだ

女性たちの再臨であるとか、北欧神話の「女神ワルキューレ」の

盾の反射の光だと信じられていたようです。

 

「オーロラ 伝承」の画像検索結果

ワルキューレは倒れた兵士を選別し、戦争と死の神「オーディン神」

が支配する天空のヴァルハラ宮殿へ導いていたとされているが、

しかしこのような神話が書かれている古代文書に対しての解釈が

難しいため、古代の北欧文化が実際にどのようにオーロラを認識

していたのかは、定かではありません。

 

ただ、オーロラが復讐にまつわる存在だったということだけは

わかっていて、多くの人々はこの光を怖がっていたようです。

 

オーロラが出ているあいだは子どもを連れさられない

ないように屋外で遊ばせなかった。

 

一方、子どもたちが帽子をかぶっているかぎり、オーロラに

髪を燃やされることはないから大丈夫だと信じる人もいたそうで

スカンジナビアと北アメリカのどちらにも、口笛を吹くと

オーロラが現れるから危険だといういい伝えもあります。

 

また、多くの文化圏でオーロラは悪事をはたらいて死を遂げた人

若くして亡くなった人、自殺、戦争、流産といった、憎しみや

悲しみのうちにこの世をさっていった人のための場所だと

信じられていたり、創造主からのメッセージだと解釈する考え

もあり、北欧の古い民謡には、「燃え上がる神の怒りだ」という

一文もある、戦争や災害、疫病のまえぶれだと信じる文化もあり

ました。

「オーロラ 不吉」の画像検索結果

 

アメリカの「マンダン」というインディアン族はオーロラの光は

巨大な鍋を熱する炎だと説明していて、その鍋の中には、北に

住む偉大な祈祷師と戦士たちによって倒された敵の部族が入れら

れているといいます。

 

ロシアでは、夫が留守のあいだに妻を誘惑する「炎の滝」という

感情がオーロラのそのありさまに関係づけられていました。

 

オーロラが通常より低い緯度まで広がるとき、よく赤みががった

色合いになりますが、当時の人々はこの光を見て、北の大地が

炎につつまれたと勘違いしたのではないかといわれています。

 

西暦37年、ローマ皇帝ティベリウスはローマの北方に赤い炎を

見て、北にあるオスティアの町が襲撃されて燃えていると

思い込んだ皇帝は、防衛のためすぐに軍隊を派遣したと

伝えられています。

 

歴史上このようなできごとは、ほかの国でもあり、

中央ヨーロッパ中に激しい赤いオーロラが見られた1938年には

イギリスのウインザー城に消防隊が招集され、火災を消し止める

ためでありましたが、炎に見えたのはオーロラのカーテンで

あったとされています。

「オーロラ 神話」の画像検索結果

 

 

このように古い文化圏ではオーロラは、忌み嫌われたことの方が

多かったみたいです。

 

 

ところが、ノルウェーとデンマークだけは、「なんと美しい」と

オーロラをポジティブに見ていました。

 

その伝承は、北に旅立った白鳥の群れが氷の枠の中に自ら入り

そこで白鳥たちが羽ばたこうとするたびに羽の光が氷で

反射してオーロラになる・・とデンマークでは愛されています。

 

ノルウェーでは、オーロラにむかって白い服をふると、その輝きが

さらに大きくなると子どもたちは教えられ、楽しんでいたそうです。

「オーロラ と白鳥」の画像検索結果

 

オーロラ科学のはじめ

オーロラを科学的に研究し、まとめた文献は、おそらく1230年

頃に書かれたノルウェー年代記「王の鏡」であろうとされ、

この本はマグナス・ラーガベーテ王の子息のための教科書と

して書かれたと考えられています。

 

この教科書にはオーロラについて複数の説明が書かれており

*当時、ガリレオ以前の時代がため、天動説が常識でした。

 

1とつめの説明は

「海は周囲を炎で取り囲まれて入り、この炎の光が空で反射

             しているのがオーロラである」

といういものでした。

2たつめの説明は

「地平線の下から届く太陽光による空の輝き」

 

3つめの説明は

「氷河からの反射」 であった・・

 

近代になると、スウェーデンのアルネリウスという科学者や

あのデカルトなどが同じように、

「オーロラは大気中の氷に反射した太陽光に由来している」

という論文を1708年に発表してたそうです。

 

対して、ノルウェーのヨナス・ラムスという牧師がスウェーデンの

アルネリウスの「太陽光反射説」に懐疑的で距離をおいていました。

 

その後、1716年3月6日 非常に強力なオーロラがヨーロッパの

大部分で観測され、これが新たなオーロラ研究のはじまりになりました。

 

この時の、ヨーロッパの人々ははじめて見る自然現象だと思ったそうです。

 

というのも長い間このような緯度ではオーロラは観測されていません。

 

この時、エドモンド・ハレー卿(60歳)という人がオーロラに

ついて、以前からの詳細な研究を発表しました。

 

信じがたい現象にまた遭遇することをほぼあきらめていたと

語っています。

 

「オーロラ光線は磁力場に影響をうけている粒子に

  よるもので、そして光線と地磁気の方向は平行である」

と述べ、さらに

 

「オーロラの孤の上部は地理極(北極点)では

  なく地磁極(移動する北磁極)の方向を向いている」

 

こうして、あとに続く、科学者の研究によりさらなる、解明が

なされ、今日では、オーロラはリング状で、発生頻度が11年の

太陽黒点周期と連動していることが発見されました。

「オーロラ 伝承」の画像検索結果

 

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