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UFO世界の未解明スポット続き4

投稿日:2019年1月31日 更新日:

 

ロズウェル

ニューメキシコ・アメリカ

アメリカ史上最大のUFO事件は、ニューメキシコを襲った

嵐からはじまった

 

1947年7月、日中 蒸し暑かったニューメキシコは日が暮れてから

激しい嵐になり、稲妻と雨も激しくなりました。

 

ロズウェル郊外のある牧場で羊の世話をしていた ウィリアム・ブレイゼル

という農夫は嵐のようすがいつもと違うことに気づいていたという・・

突然、激しい衝突音が鳴りひびたのでしたが、嵐の真っ只中というこも

あり、そう気にせずその日は、寝てしまいました。

 

翌朝、嵐による被害を調べにいき、すると 牧草地になにかの破片が

大量に散らばっていて、彼はそれを近所の人に見せようといくつか

もって帰りました。

 

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それが、空からの落下物だと判断した近所の人たちは自分たちの

手におえることではないと思い・・・

そして郡保安官のジョージ・ウィルコックスに通報することに

なります。

 

ウィルコックス保安官はこの件をロズウェル陸軍飛行場に知らせ、

飛行場の担当者は破片の残骸の回収を手配しました。

「ロズウェル」の画像検索結果

 

7月8日、米陸軍が空飛ぶ円盤らしき物体を入手したという

情報がリークされましたが、破片や残骸は気象観測用の気球のものだ

と口裏をあわせるよう、多くの関係者に指示がくだされたといわれている

 

数週間ご、空軍に所属する看護師が、宇宙人の解剖にたちあわされたと

証言し、空飛ぶ円盤のニュースは世界中の注目をあつめましたが、

ミステリー話でそれを信じる人はあまりいなかったといいます。

 

1940年代なのでムリもありませんが・・・

 

しかし、今では、ロズウェルUFO墜落事件は米政府による最大の

隠蔽事件だったとする証拠が数おおくでてきています。

「ロズウェル」の画像検索結果

 

ロズウェルはUFO事件で有名になり世界中から人はやってくる

「ロズウェル」の画像検索結果

 

ソコロ

ニューメキシコ・アメリカ

米政府がソコロのUFO目撃情報を調査したが、なにも結論がでない

「ソコロ UFO」の画像検索結果

1964年4月24日、警察官のロニー・ザモラはスピード違反の車を

追跡中に、、轟音(とどろき)をきき、遠くに青とオレンジの炎を

見たので追跡はやめ、そこへ行き、パトカーを停めてそろそろと歩いて

近づいてみると、車くらいの卵型の光る物体があり、その側面にはなに

かわからない、赤い文字のようなのもがついていたと証言しています。

 

ザモラ巡査が空軍とFBIのききとり調査でこたえた内容によれば、

卵型の光る物体からでてきて、2体の白いオーバーオールを着た小柄な

人のような生物がこちらに気づき、かくれたといいます。

関連画像

 

ザモラ巡査がさらに近づくと、エンジンのような音がし、その物体の

下から青い炎が噴きだして、警察の応援がかけつけたときには

すでに空へ消えていって、UFOは見えなくなっていたということです。

 

しかし、その場で、UFOが発進した証拠の焦げ跡が記録されています。

 

その晩には、ほかにも同じおような目撃情報がよせられていて、ここ

ソコロへ車でむかう途中、炎と茶色の砂ぼこりがみえ、あのUFOが

猛スピードで地平線に消えていったという報告と、コロラドからきた

観光客5人も同じUFOが低空飛行で自分たちの頭上をかすめていった

との報告をいれています。

 

ダルシー基地

ヒカリラ・アパッチインディアン族の保留地の地下にある米政府の

基地があり、宇宙人の遺伝子研究がおこなわているという噂がある。

クローン作製などの実験のために、捕獲した宇宙人が収容されている

という・・おこなわれていることの機密性を考えると、そこで働いて

いるのは、国防省の謀報機関である国家偵察局のバッジをつけている

人たちではないでしょうか。       

「国家偵察局のバッジ」の画像検索結果

 

エリア51

ネバダ・アメリカ

この空軍秘密基地はUFOや宇宙人を使って実験しているのか?

「エリア51」の画像検索結果

 

ラスベガスから130Kmほど離れたネバダ砂漠の奥にエリア51

があります。

 

建設されたのは1955年ですが、2013年までCIAはエリア51の

存在すら認めてようとしなかったのです。

 

この詳細はいまも高レベルで国家機密あつかいとされ、周辺空域は、

民間機はもちろんのこと通常の軍用機も進入禁止となっています。

では、軍用施設でいったいなにが行なわているでしょう。

 

極度の秘密主義がおおくの噂をまねいて、宇宙人がこの基地のなかで

人類と宇宙人のハイブリット種をつくっているとよくききます。

 

UFO研究家にいちばん支持されているのが、エリア51は墜落した

UFOを回収して研究したり、つかまえたエイリアンを保管している

施設だということです。

 

有名な1947年のロズウェルUFO事件の回収物も保管されている

といいます。

関連画像

 

ほかにも、エイリアンと秘密会議をおこなう場所だと考える人たちも

いて、アメリカ政府が1969年のアポロ11号の月面着陸をここで

捏造撮影をしたという説もあります。

 

たいていの空軍スポークスマンはこうした風評を公に否定していて

ここは兵器の開発とロシア製航空機のテストのための基地であるという

ことしか認められていません。

 

しかし、この基地で働いていたことのある何人かの人々が、ここでは

奇妙なことがことがおこなわていると証言しています。

 

たとえば1989年、科学者のボブ・ラザールは エリア51の関連施設で

だ捕したUFOの分解にたずさわったといいます。

「エリア51」の画像検索結果

 

また、1950年代にエリア51で働いていたという機械エンジニアは

J=ロッドという宇宙人とともに、基地内でUFOのシュミレーター装置開発を

手伝ったとあるドキュメンタリー映画のなかで語っています。

「エリア51」の画像検索結果

 

かつてここで働いていたというダン・クラインも J=ロッドとあったことが

あり、基地ではまったく未知のウィルスのクローンをつくったと証言しました。

 

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サン・クレメンテ

マウレ・チリ

アンデス山中の謎の石畳は、古代のUFOの滑走路

La Ruta Ufol?gica en Chile.チリにUFO出現。 | walking ...

 

アンデス山麓の平穏だった町、サン・クレメンテですが、いまは

毎日のようにUFOの目撃情報が、マスメディアに取りあげられて

います。

 

チリでは、宇宙人をテーマにした会議が毎年開かれているので、

世界中のUFO愛好家たちがやってきています。

 

その中でもサン・クレメンテはとくに「UFOの聖地」として有名です。

サン・クレメンス上空で、光るUFOを目撃したという報告が増加したのは

1990年代になってからでした。

 

2008年、チリ政府は増加するUFO目撃情報に観光収入の目的もあって

地元住民がUFOをよく見かけるという場所をむすぶ30Kmほどの、

「UFOトレイル遊歩道」をアンデス山脈にもうけました。

 

この道を歩いていくと、途中 エル・エンラドリリャド(レンガ道)という

場所にでて、リオ・クララ渓谷をはるかに見おろす高所ですが、火山岩魂が

きちんと並ぶ石畳のようになっています。

 

誰がなんの目的でつくったのかは、いまだ不明です。

 

 

ですから、この平原にある石のブロックの3つに2つは磁北を向いていて

残りの1つは夏至の日の出の方角を向いていることから、宇宙船を離着陸

させるためにエイリアンがエル・エンラドリリャドをつくったと主張する

UFO研究家もいます。

 

サン・クレメンス付近で目撃されるUFOは光る球体で、低空でホバリング

していたかと思うと森や水のなかに消え、ときには直径が2~3mもある

白と紫の光体といっしょに目撃されることもあります。

 

また、夜間に町の上空を編隊飛行して、闇空に消えていくUFO群も報告されて

いますが、これらに関してチリ政府からは、なんら説明がありません。

 

プマプンク

ティワナク・ボリビア

謎の巨大建造物の起源には、宇宙人ハイブリットがつくった

 

プマプンクは、インカ帝国の人々にとって「世界のはじまりの場所」

だと信じられていて、寺院群遺跡であるティワナクの一部です。

 

インカ文明 以前から存在するこの遺跡は、巨石のブロックがカミソリの

刃も入らないほどピタリとくっついて並んでいます。

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プマプンクがどのような目的でつくられ、どのようにして建設されたの

かは、いまも謎のままで、かつてのティワナクは、いまは24Kmほど

離れてしまったチチカカ湖に面していた港都市でプマプンクのひな壇は

当時 船着場としてつかわれていたともいわれています。

 

また、推定400トンもあるような巨石を運んで積上げる技術は、

プマプンクが建設されたといわれる西暦500年ごろのティワナクの

技術よりはるかに進歩しているとのことで、しかも これらの巨大な

ブロックを切りだした採石場はチチカカ湖の西側にあります。

 

6世紀につかわれていた簡素な葦船で運べるとはとうてい考えにくい。

なかには、捨てられた大むかしの石造りの埠頭をティワナクの人たちが

発見したという説もあります。

 

冒険家であるアルトゥル・ボウウナンスキーは、プマプンクは紀元前

1万3000年ごろにつくられた海港だと主張し、彼の計算によれば

とうじ、遺跡にたつ2本の柱は、広場の中央からみると日の出と日の入り

の方角をそれぞれ指していたはずだと指摘しました。

 

また、この裏づけとして 石に刻まれている動物の像のおおくは更新世に

絶滅した動物であること、古代の海岸線の跡、海洋生物の化石の存在、

そして海抜3000mもの高地に海港が存在することの異常さも指摘

しています。

 

ポズナンスキーは、紀元前1万1700年ごろに更新世をおわらせた地軸の

ズレが地殻をおおきく隆起させ、かつて栄えていた海港を海から遠く離れた

山の中腹まで押しあげ、その衝撃で巨石が散乱したと考えました。

中には、古代洪水説も、、

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ポズナンスキーの説から、地球外生命体が、高度な技術で巨石を切りだし

はるばる運んで古代の海港を建設し、条件のよい海沿いにつくったという

ことが考えられているそうです。

 

その後、この場所を捨ててどこかにいってしまったのか、何者かに滅ぼされた

のか、とにかく地球外生命体はプマプンクから姿を消し、それから数千年の

時を経て インカ帝国の人々がこのプマプンク遺跡を発見したのかも

知れません。

 

    関連パート5

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